「暑い」という嘆きがマスクで跳ね返ってきて余計に暑いので、Hは涼しげな青い看板のコンビニでアイスを買った。袋を開ければ、お気に入りの練乳棒アイスはまるで陽の光を反射しているように真っ白く見えた。自動ドアを抜ける前に開封してしまったことを少し申し訳なく思いながら、炎天下に繰り出したHはついに頬張る覚悟を決めた。
右の親指と人差し指で棒をつまみ上げ、アイスの純白の肌が徐々に露わになる。一年ぶりに再会した美女の背中だ。Hは息をのんだ。わずかな手の震えで包装ビニルがかしゃかしゃと騒ぎ立てた。今生の別れを惜しんでいるようだった。
Hは恍惚な表情を浮かべ、アイスはもう間もなく口腔へ収まろうかという瞬間、右の親指と人差し指の拘束がわずかに弛み、アイスが重力に惹かれ始めた。Hの唇にバウンドし、刹那の甘さだけを残してアイスは落ちていった。
呆然と立ち尽くすHをよそに、アイスの白い肌は地面に打ち付けられようとしている。あぁと、嗚咽にも似た感嘆が、アイスのいるべき口から漏れ出た。もうだれもこの口を塞いではくれないのだ。孤独が還ってくる。
その時だった。大地が、アイスを頬張るように、割れた。
勢いよく、その暗闇へ、地球の口腔へ、アイスがわずかな回転と共に落ちていった。
口が塞がることは無く、むしろ更に大きく広がり、同時にまた、眼も見開かれていった。その頃には、既にアイスは闇に消えていた。Hは足が震えていることに気が付いた。悲しさか?恐ろしさか?ああダメだ、もう立っていられない。ついには膝から崩れ落ちていった。
胃が腸が、浮き上がる心地がした。Hは裂け目に、僅かな回転と共に落ちて行っていることを悟った。どこもかしこも暗く、たまにチラつくただ一点の光が次第に遠ざかってゆくのを見て、ずっと落ち続けていることを知った。
ついには一点の光を見失った。今自分はどこにいて、どの向きに落ちているのかさえ分からなくなった。暗闇は孤独だった。己は明確にここにいて、ここにしかいなくて、人々は多分ここにはいなくて、でもここにいるような気がして。
この落下を感じているのは自分しかいなくて、落下を知らない人々は全く勿体ないことをしているのだ。優越感が五臓六腑に染み渡り、Hの頬はわずかに緩んだ。この終わりのない落下が、つまりは幸福だったのだ。その証拠にほら、体重を支える必要がなくなった足はもう震えていない。
今、有頂天なのである。